法末村
ほうすえむら
[現在地名]小国町法末
小国沢村の南東方山間に孤立した村。東の道見峠越で吉谷村(現小千谷市)を経て小千谷へ通じる。小国東組に属する。口碑では永正七年(一五一〇)当地大橋マキの先祖大橋宗顕の開発という。近世初めは高田藩領、天和元年(一六八一)から幕府領、文久二年(一八六二)長岡藩領。正保国絵図に高三五石余。天和三年の検地帳(法末区有文書)では田七町九反余・畑屋敷七町八反余・山一八町九反余・青苧畑一反余。屋敷二七筆のうち欠落百姓五人がいる。耕地には地字小千谷道・とうけの下の地名がみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 