波々伯部氏(読み)ははかべうじ

改訂新版 世界大百科事典 「波々伯部氏」の意味・わかりやすい解説

波々伯部氏 (ははかべうじ)

〈ほうかべ〉とも読む。中世丹波国の土豪,戦国期の武将。祇園社領4ヵ保の一つであった丹波波々伯部保(現,兵庫県篠山市中東部)の開発領主と伝える。1221年(承久3)の関東御教書にみえる下司盛経が文献上の初見人物で,以後同氏の惣領は〈盛〉字を名のることが多い。1337年(延元2・建武4)の波々伯部信盛の請文には,〈先祖越中守盛里開発領主として〉とあるが,同保は田堵数名が相談の上祇園社に寄進したことが明らかで,上の伝承には疑問がある。とまれ鎌倉以来同保の下司職を相承し,足利尊氏からも下司に補任され,南北朝末期に細川氏が丹波守護に就任すると同氏の被官となった。応仁の乱後,一時は守護代の内藤氏に同保の代官職を奪われるが,ほどなく回復,戦国期は同保代官を兼ねながらも漸次在地性を脱却して細川氏の内衆として京都に常駐。とくに晴元の被官となった元継は有力内衆として畿内政治に活躍したが,晴元の没落とともに衰えた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の波々伯部氏の言及

【波々伯部氏】より

…〈ほうかべ〉とも読む。中世丹波国の土豪,戦国期の武将。祇園社領4ヵ保の一つであった丹波波々伯部保(現,兵庫県多紀郡篠山町)の開発領主と伝える。1221年(承久3)の関東御教書にみえる下司盛経が文献上の初見人物で,以後同氏の惣領は〈盛〉字を名のることが多い。1337年(延元2∥建武4)の波々伯部信盛の請文には,〈先祖越中守盛里開発領主として〉とあるが,同保は田堵数名が相談の上祇園社に寄進したことが明らかで,上の伝承には疑問がある。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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