開発領主(読み)カイハツリョウシュ

デジタル大辞泉 「開発領主」の意味・読み・例文・類語

かいはつ‐りょうしゅ〔‐リヤウシユ〕【開発領主】

未墾地を開発してその土地の所有者となった者。平安中期以後、中央の社寺貴族に土地を寄進し、その支配権を保留して荘官となる者が多かった。かいほつりょうしゅ。

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精選版 日本国語大辞典 「開発領主」の意味・読み・例文・類語

かいほつ‐りょうしゅ‥リャウシュ【開発領主】

  1. 〘 名詞 〙 古代末から中世にかけて、未開墾の土地を私力で開発してその所有者となった者。開発地に対して、開発者は絶対的所有権を持つという観念もとに、その土地に特別の強い支配権を認められた領主。かいほつりょうす。かいほつの領主。根本領主。開発地主。
    1. [初出の実例]「当庄根本者、開発領主散位俊成奉彼山之間、別当湛快令領掌之」(出典吾妻鏡‐文治元年(1185)二月一九日)

かいはつ‐りょうしゅ‥リャウシュ【開発領主】

  1. 〘 名詞 〙かいほつりょうしゅ(開発領主)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「開発領主」の意味・わかりやすい解説

開発領主
かいはつりょうしゅ

「かいほつりょうしゅ」が本来の読み方。根本(こんぽん)領主ともいわれるように、未墾地を初めて私力で開発し、その領有権を有する者をいう。主として地方豪族である。墾田活動が盛んとなった平安中期から登場し始め、史料のうえでは普通、領主・私領主、あるいは地主として表される。その開発地=所領は、私領として進退領掌する権利を認められたが、田租をはじめとする諸課役を国衙(こくが)から負わされており、所領を排他的、独占的に領有できたわけではない。そこで領主のなかには、国衙の干渉を排除するために、下地進止(したじしんし)権(土地の実質的支配権)を留保した形で、権門勢家に所領を寄進する者が少なくなかった。これにより所領は名目上権門の荘園(しょうえん)とされ、その権威をもって不輸租化が図られた。そこでこれを寄進地系荘園と称している。所領寄進後の私領主は、一定の年貢その他を権門に進める一方、下司(げし)とか預所(あずかりどころ)とよばれて荘務にあたった。そこでこの権利を下司職(しき)とか預所職といい、子孫への相伝も認められたが、権門との力関係によっては、その荘務権・下地進止権を吸収されたものもある。開発領主の出現は平安中期以降国土の開発を推進したが、その結果開発地の新旧地名を領主の名字として用いることが多くなった。これを名字の地という。また、その開発や耕営にあたり周辺の農民と結ばれた関係を基盤として、開発領主が棟梁(とうりょう)となり、名主百姓郎党や兵とする地方武士団が形成された。鎌倉時代の法律書『沙汰未練書(さたみれんしょ)』に、御家人(ごけにん)は根本領主、私領主と称する人々であるとしているように、開発領主は鎌倉幕府の標準的御家人となった階層である。

[村井康彦]

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百科事典マイペディア 「開発領主」の意味・わかりやすい解説

開発領主【かいほつりょうしゅ】

〈かいはつりょうしゅ〉とも読み,根本(こんぽん)領主とも。未開墾地を私力で開発しその田畑を所有する者。買収や寄進による領主に対しての称。10世紀後半以降,在地の富豪層等が盛んに開発,のち実質的支配権を留保したまま,中央の貴族・寺社に寄進して名主荘官になる者が多かった。12世紀ころまでに各地で誕生した在地領主は典型で,鎌倉時代には幕府御家人となった。
→関連項目奥山荘寄進状源平争乱太良荘

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「開発領主」の解説

開発領主
かいほつりょうしゅ

根本領主(こんぽんりょうしゅ)とも。平安中期~鎌倉時代,利水工事や種子下行(しゅしげぎょう)などで田畠の大規模な開発を行い,根本私領(本領)を形成した領主。階層的には国司・官人層と,「富豪の輩」とよばれた上層農民層がある。後者は国衙の承認を得て開発地を別名(べつみょう)や保(ほ)に,あるいは権門に寄進して荘園としたりした。そして,みずからは別名の領主・保司・荘官などになり,在地領主として成長した。鎌倉幕府は彼らを基盤に成立した政権で,鎌倉末期の訴訟解説書「沙汰未練書」には「御家人トハ往昔以来開発領主トシテ武家御下文ヲ賜ル人ノ事也」とあって,開発領主であることが御家人の本質だと意識されていた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「開発領主」の解説

開発領主
かいはつりょうしゅ

未開墾地を開墾してその所有(領有)者となった者
「かいほつりょうしゅ」とも読み,根本領主ともいう。多くは地方豪族で,平安中期以後,自己の所領保全,利権の確立強化を目的として,中央の有力な寺社・貴族に所領を寄進。自身は,預所 (あずかりどころ) ・下司・地頭など荘官としての職掌をもって,現地支配の権限を留保しておくことが多い。こうして,本家・領家・荘官という階層的な荘園領有関係(荘園制)が完成された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「開発領主」の意味・わかりやすい解説

開発領主
かいはつりょうしゅ

「かいほつりょうしゅ」とも読み,根本領主ともいう。荘園時代,自力で未墾地を開発して,その所有者となった地方豪族をさし,その所有地が売却,寄進されてのちも,下司職 (げすしき。→下司〈げし〉) ,預所職など実質的な支配権を留保した場合が多い。

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世界大百科事典(旧版)内の開発領主の言及

【開発】より

…かくして,一部の寄生的な特権的支配層をのぞく社会のほとんどの階級・階層が開発に情熱をもやし,開発およびその寄進によって,荘・保・別名などのさまざまな開発所領が成立する。 このような開発には,開発主体が〈開発領主〉と称される領主的な開発と農民たちの村落的な共同開発とがあった。播磨国小犬丸保の〈土民等〉が〈計略を廻らし,功力を尽し〉て池を築造したのは後者の代表例であり,こうした農民的共同開発が中世村落成立の重要な基盤となった。…

【地主】より

…地主の有するこのような内容の権利義務を指して地主職という。こうして,いわゆる開発領主がしばしば地主と称されたのである。1098年(承徳2)播磨大掾秦為辰が同国赤穂郡久富保公文職ならびに重次名地主職を子息為包に譲与した際の譲状(案)に,〈件所帯名田畠桑原等者開発之私領也〉と記しているのはまさにそれである(東寺百合文書)。…

【荘園】より

…おのずとこの単位は国ごとに多様で,おおよそ畿内とその周辺を中心に西国では,東西南北の方位に分かれたや《和名抄》の(ごう)をはじめ院・条が見られ,その下に(みよう)が広範に現れてくるのに対し,東国では方位に分かれた郡・条が基本で,名の単位は明瞭でない。これらの単位は当初は固定しておらず,請負人も流動していたが,みずから開発を進め,それを根拠に一定の地域を私領とするようになった武勇の輩すなわち開発(かいほつ)領主が,その地域を請け負う郡司,郷司,名主等の地位を世襲しはじめ,11世紀に入るころにはそれを職(しき)として確保するにいたって,状況はまた大きく変化しはじめる。 この間,国守は寺院などの荘園については基準国図に載せられた不輸租の免田のみを認め,それ以外の荘園の新開田からは官物を徴収する方式(免除領田制)でのぞんだので,9世紀以前の荘園はその発展を著しく制約され,多くは消滅していった。…

【武士】より

…また一般農民の小規模な開発による百姓治田も盛んに生まれたが,多くは買収その他の手段で有力豪族のもとに集積された。こうした有力な在地豪族は開発私領を中核として支配を拡大し,在地領主化し,開発領主,根本領主と呼ばれた。彼らはその開発所領を保(ほ)あるいは別符名(べつぷみよう)として国衙からその領有を認められ,また一方では国衙の在庁官人としての地位を保有して国衙権力につながっていたが,その実力を蓄え所領を自衛するために武力を養う必要があった。…

【本宅】より

…律令制下において私有をみとめられた私宅と家地・園地を,その直接の起源とする。平安時代に〈富豪の輩〉といわれた地方有力者(富豪層)は,数町にも及ぶ宅地に私宅をかまえ,その内外に従類(じゆうるい),伴類(ばんるい)を集め,周辺各地に田家など諸種の小宅を分散配置して,私営田や山野河海の諸産業を営んだが,その中から強固な領主支配を形成したのが,中世在地領主の典型である〈開発領主〉であった。領主的な開発を行うのに必要な基本財産は,ふつう1町余の屋敷畠(やしきはく),在家(ざいけ),苧桑,所従,牛馬などで,これらを基礎として現地の〈居屋敷(いやしき)〉(本宅)や〈一門輩居薗〉を設けて堀垣をかため,国衙に申請して適地の荒野を占定し,私財を投じて百姓を語らい浪人を招き寄せて開発にあたった。…

【領主】より

…それは日本中世社会における土地支配者(封建領主)の最も基本的なありかたをしめすものであった。 これらの私領主(地主)のうち,みずからの財力によって田・畠を開発(かいほつ)(開墾)し,他の介入を許さない強大な土地所有権を確立することができた者を特に開発領主とよぶ。彼らの多くは農村に本宅を構え,多数の下人・従者を駆使して,大規模な農業経営を展開した。…

【開発】より

…かくして,一部の寄生的な特権的支配層をのぞく社会のほとんどの階級・階層が開発に情熱をもやし,開発およびその寄進によって,荘・保・別名などのさまざまな開発所領が成立する。 このような開発には,開発主体が〈開発領主〉と称される領主的な開発と農民たちの村落的な共同開発とがあった。播磨国小犬丸保の〈土民等〉が〈計略を廻らし,功力を尽し〉て池を築造したのは後者の代表例であり,こうした農民的共同開発が中世村落成立の重要な基盤となった。…

【荘園】より

…おのずとこの単位は国ごとに多様で,おおよそ畿内とその周辺を中心に西国では,東西南北の方位に分かれたや《和名抄》の(ごう)をはじめ院・条が見られ,その下に(みよう)が広範に現れてくるのに対し,東国では方位に分かれた郡・条が基本で,名の単位は明瞭でない。これらの単位は当初は固定しておらず,請負人も流動していたが,みずから開発を進め,それを根拠に一定の地域を私領とするようになった武勇の輩すなわち開発(かいほつ)領主が,その地域を請け負う郡司,郷司,名主等の地位を世襲しはじめ,11世紀に入るころにはそれを職(しき)として確保するにいたって,状況はまた大きく変化しはじめる。 この間,国守は寺院などの荘園については基準国図に載せられた不輸租の免田のみを認め,それ以外の荘園の新開田からは官物を徴収する方式(免除領田制)でのぞんだので,9世紀以前の荘園はその発展を著しく制約され,多くは消滅していった。…

【土地】より

…経済学上,土地は資本や労働と並ぶ生産要素の一つである。土地の生産要素としてのサービスを一定期間使用するときの対価は地代と呼ばれる。他方,土地は耐久的な生産要素であるから,財産所有者の資産選択の対象となり,ストックとしての土地そのものが売買される。そのときの価格は地価と呼ばれる。 土地はその供給が固定されているという点に特徴があると考えられている。たとえば,日本の国土は埋立て以外に増やすことはできない。…

【武士】より

…また一般農民の小規模な開発による百姓治田も盛んに生まれたが,多くは買収その他の手段で有力豪族のもとに集積された。こうした有力な在地豪族は開発私領を中核として支配を拡大し,在地領主化し,開発領主,根本領主と呼ばれた。彼らはその開発所領を保(ほ)あるいは別符名(べつぷみよう)として国衙からその領有を認められ,また一方では国衙の在庁官人としての地位を保有して国衙権力につながっていたが,その実力を蓄え所領を自衛するために武力を養う必要があった。…

【本宅】より

…律令制下において私有をみとめられた私宅と家地・園地を,その直接の起源とする。平安時代に〈富豪の輩〉といわれた地方有力者(富豪層)は,数町にも及ぶ宅地に私宅をかまえ,その内外に従類(じゆうるい),伴類(ばんるい)を集め,周辺各地に田家など諸種の小宅を分散配置して,私営田や山野河海の諸産業を営んだが,その中から強固な領主支配を形成したのが,中世在地領主の典型である〈開発領主〉であった。領主的な開発を行うのに必要な基本財産は,ふつう1町余の屋敷畠(やしきはく),在家(ざいけ),苧桑,所従,牛馬などで,これらを基礎として現地の〈居屋敷(いやしき)〉(本宅)や〈一門輩居薗〉を設けて堀垣をかため,国衙に申請して適地の荒野を占定し,私財を投じて百姓を語らい浪人を招き寄せて開発にあたった。…

【領主】より

…それは日本中世社会における土地支配者(封建領主)の最も基本的なありかたをしめすものであった。 これらの私領主(地主)のうち,みずからの財力によって田・畠を開発(かいほつ)(開墾)し,他の介入を許さない強大な土地所有権を確立することができた者を特に開発領主とよぶ。彼らの多くは農村に本宅を構え,多数の下人・従者を駆使して,大規模な農業経営を展開した。…

※「開発領主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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