波垣村(読み)なみがきむら

日本歴史地名大系 「波垣村」の解説

波垣村
なみがきむら

[現在地名]今立町波垣

春山はるやま村の東にあり、同村の枝村であったが、元禄郷帳で分村、村高は二一五・三石余。天保三年(一八三二)の波垣村五人組改帳(市橋家文書)によると本百姓三四戸・水呑一戸・道場一戸。村内は六組に分れていた。村高の耕作状況は複雑で、村高のうち三一・六石余が他村民の耕作地(越石)であった。越石は、服部谷の春山寺地てらじ樫尾かしお領家りようけ清根きよね各村の九名、水間みずま谷の市野々いちのの村一名、粟田部あわたべ村一名、かきはら(現池田町)一名の計一二名で、最高は粟田部村権右衛門の一八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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