朝日日本歴史人物事典 「波多野義重」の解説
波多野義重
鎌倉中期の武士。忠綱の子。本名は宣政(信政)。通称,波多野五郎。承久の乱の際,北条時氏に従い,墨俣の合戦で右眼を射られながらも奮戦。乱後,六波羅評定衆となり出雲守に任じた。その後,道元に帰依。寛元2(1244)年所領の越前国志比荘に道元を招いて吉祥山大仏寺(のちの永平寺)を創建した。宝治1(1247)年の鶴岡八幡宮放生会では先陣随兵の筆頭,建長3(1251)年8月,鎌倉由比浦で犬追物が行われたときには検見の役,その翌年,宗尊親王の鎌倉下向の際には供奉人を務めた。<参考文献>湯山学「鎌倉後期における相模国の御家人について(三)」(『鎌倉』26号)
(野口実)
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