日本歴史地名大系 「泥町村」の解説 泥町村どろまちむら 大阪府:枚方市泥町村[現在地名]枚方市枚方〈上之(かみの)町・元(もと)町・公園(こうえん)町〉・菊丘(きくがおか)町・菊丘南(きくがおかみなみ)町・伊加賀(いかが)〈南(みなみ)町・北(きた)町・東(ひがし)町・寿(ことぶき)町・緑(みどり)町・栄(さかえ)町〉・三矢(みつや)町・高塚(たかつか)町・堤(つつみ)町・走谷(はしりだに)一丁目・山之上西(やまのうえにし)町・出口(でぐち)一丁目茨田(まんだ)郡に属し、淀川左岸沿いの沖積低地に位置する。東は三矢村・枚方村。村名は、淀川沿いの低湿地の泥田が町と化したことによる(旧版「枚方市史」)。村の東部にある官女塚は、藤原継縄の妻百済王明信の墓と伝える。京街道が村内を貫通し、周囲の岡(おか)村・岡新町(おかしんまち)村・三矢村とともに枚方宿を構成した。正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳では五六石余。元文二年(一七三七)の河内国高帳では四六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by