泰巌寺跡(読み)たいがんじあと

日本歴史地名大系 「泰巌寺跡」の解説

泰巌寺跡
たいがんじあと

[現在地名]八代市北の丸町

八代市立第一中学校一帯が旧寺地。細川忠興(三斎)が、寛永一一年(一六三四)織田信長菩提を弔うために建立した寺で、はじめ平川原ひらがわら町の北、細工さいく町の南にあったが、のちきた小路に移された。「国志草稿」に「泰巌寺信齢山 禅宗洞家 尾州三津江正眼寺末 寺領二百石、御茶湯料米六石、作事料白銀十枚寺納之、当寺ハ細川忠興君丹後御領国の時、先君信長公菩提追善の為、天正十六年、彼国於宮津御建立(中略)寛永九年忠利君豊前より当国へ御入国、同十一年、厳父三斎翁、泰巌寺を八代に於て御建立、則葉屋住持たり、当郡今村・野津村にて二百石の寺領を御寄附有、延宝三年為雷火焼失、其後又構営、本尊ハ釈迦、脇士ハ文珠・普賢也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android