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細川宗孝 ほそかわ むねたか

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川宗孝 ほそかわ-むねたか

1716-1747 江戸時代中期の大名。
正徳(しょうとく)6年4月27日生まれ。細川宣紀(のぶのり)の4男。享保(きょうほう)17年肥後熊本藩主細川家5代となる。延享4年8月15日江戸城内で旗本の板倉勝該(かつかね)に人違いできりつけられ翌16日死去。32歳。幼名は主税,六丸。初名は紀達。

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世界大百科事典内の細川宗孝の言及

【肥後国】より

…旧国名。肥州。現在のほぼ熊本県に当たる。
【古代】
 西海道に属する大国(《延喜式》)。古くは火の国の一部。《日本書紀》持統10年(696)条に,〈肥後国〉とあるので,このころまでには火の国は,火(肥)の前(さき)の国と火(肥)の後(しり)の国に分国したと思われる。大化前代,肥後国の地方には,玉名郡の菊池川流域に日置氏,阿蘇地方に阿蘇君,宇土半島の基部より氷川流域を中心に火(肥)君,八代市南部の葦北君,熊本市の白川下流域に建部君などの豪族が蟠踞(ばんきよ)していたが,その最大の豪族は火君であった。…

【細川重賢】より

…熊本藩主。細川家8代。6代藩主宣紀(のぶのり)の五男。幼名紀雄。兄宗孝の仮養子であった1747年(延享4)宗孝が江戸城で旗本板倉勝該(かつかね)に斬られて不慮の死を遂げ,にわかに封を継ぎ8代藩主となった。当時熊本藩は連年財政困難にあり,参勤交代・江戸藩邸の費用にも事欠くありさまであった。重賢は藩主に就任すると堀勝名を大奉行に抜擢(ばつてき)して藩政改革にとりかかった。まず綱紀粛正を図り,行政機構の整備,刑法草書の制定,財政再建に向けての地引合(じびきあわせ)(検地の一種)による隠田の摘発と定免(じようめん)制(農民の反発により延期),櫨(はぜ)・楮(こうぞ)の専売,藩士に知行世減法を行ったほか,藩校時習館を建てて人材の育成を図り,農商人の子弟でも俊秀の者には門戸を開放した。…

※「細川宗孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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