日本歴史地名大系 「洋学校教師館」の解説 洋学校教師館ようがつこうきようしかん 熊本県:熊本市今村洋学校教師館[現在地名]熊本市水前寺公園明治四年(一八七一)熊本藩は藩制改革の一環として熊本洋学校を古城(ふるしろ)内(現熊本市古城町の県立第一高校構内)に設立し、人材教育にあたることになった。招聘外人教師の住宅の教師館建設のため、長崎から大工(棟梁辰吉)を雇い入れ、同年一〇月教師館は洋学校内に落成した。この洋学校教師館は熊本における最初の洋館で、コロニアル風木造二階建であった。同年八月洋学校教師として来熊したアメリカ人L・L・ジェーンズが、家族とともに同九年九月廃校になるまで住んだ。そのためジェーンズ邸ともいわれている。洋学校廃校後は熊本県庁の建物として使用され、同一〇年の西南戦争にも戦火をまぬがれ、有栖川宮熾仁親王の宿所にあてられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by