改訂新版 世界大百科事典 「洗冤集録」の意味・わかりやすい解説
洗冤集録 (せんえんしゅうろく)
Xǐ yuān jí lù
中国,南宋末の宋慈(1186-1249)の著した法医学書。《洗冤録》とも簡称する。1247年(淳祐7)に成り,西欧の《Opera chirurgica》(1575)より数世紀早い。第1巻は法手続と屍体検査法,第2巻は致死因の究明,第3巻は骸骨や自縊と他殺の判別,第4巻は自殺,病死などの死因,第5巻は圧死,受杖死などの死因を記し,外形観察を主としている。すべて53項ある。宋慈は広東,湖南などの提刑(法務官)を歴任,無法を是正するため本書を著した。のち元代の《無冤録》(王与,1308刊)はじめ同類の書が出,朝鮮,日本にも伝わった。《洗冤集録》は,18世紀末以降,オランダ,ドイツ,フランス,イギリスの4ヵ国語に翻訳されたが,日本語に翻訳されたのは1877年で,《検屍考》と題された。
執筆者:斯波 義信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報