日本歴史地名大系 「津和地村」の解説
津和地村
つわじむら
[現在地名]中島町津和地
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早郡の項に「津和地村 日損所、芝山有」とみえ、村高一四〇石五斗一升、うち田八〇石二升、畑六〇石四斗九升とある。
島の開発は寛治年間(一〇八七―九四)藤原親朝が忽那長者として父の親賢の業績を継いで実施したと伝える。「忽那嶋開発記」に「嫡三郎大輔親朝、枝嶋ヲ開発、構農家、謂ル牟須岐嶋、野嶋、初松嶋云二神嶋、怒和嶋、津和嶋、柱嶋、都而忽那七嶋云々、嘉保年中、各六嶋奉遷八幡宮」と記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報