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忽那諸島 くつなしょとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

忽那諸島
くつなしょとう

愛媛県北西部,瀬戸内海に浮かぶ島嶼群。別称忽那七島松山市に属する。安芸灘伊予灘の間にあり,中島を最大に,睦月島野忽那島怒和島二神島津和地島興居島の7島のほか釣島,由利島など約 20の小島を含む。地質は花崗岩輝石安山岩石灰岩からなる。鎌倉時代から忽那氏の領地で,南北朝時代には南朝方の拠点の一つであった。ビワ,モモ,柑橘類栽培,漁業が主要産業。船踊り,大名行列など特異な民俗行事が残っている。全島瀬戸内海国立公園に属する。松山市高浜港から主要島に定期船が運航。

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百科事典マイペディアの解説

忽那諸島【くつなしょとう】

愛媛県の中島町(現・松山市)を構成する諸島と松山市に属する興居(ごご)島の総称。藤原道長の後裔が流されて忽那氏が始まったと伝え,南北朝期には島を拠点として強力な海上勢力を示した。
→関連項目忽那氏

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世界大百科事典 第2版の解説

くつなしょとう【忽那諸島】

愛媛県松山市の北西,瀬戸内海の安芸灘と伊予灘をわける島群。ほとんどの島が愛媛県温泉郡中島町を形成する。このうち中島,睦月島,野忽那島,怒和(ぬわ)島,津和地島,二神島と柱島(山口県)はかつて忽那七島と呼ばれ,南朝方についた忽那氏の勢力範囲であったが,現在は柱島にかえて興居(ごご)島(松山市)を加え,忽那七島とする。七島のほか釣(つる)島(松山市),由利島,大館場(おおたちば)島,クダコ島など20余の島が含まれ,興居島を除いて離島振興法指定地域である。

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大辞林 第三版の解説

くつなしょとう【忽那諸島】

瀬戸内海西部、松山市の北西の島群。中世、忽那氏の所領。ほとんどの島が愛媛県中島町(現松山市)を形成。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔愛媛県〕忽那諸島(くつなしょとう)


瀬戸内海西部、安芸灘(あきなだ)と伊予(いよ)灘を分ける島嶼(とうしょ)群の総称。面積最大(21.1km2)の中(なか)島を中心に睦月(むづき)島・野忽那(のぐつな)島・怒和(ぬわ)島・津和地(つわじ)島・二神(ふたがみ)島・興居(ごご)島などからなる。全島が愛媛県松山(まつやま)市に属する。沈降性の島々で海岸線は複雑に入り組み、花崗(かこう)岩系の山地が目立つ。瀬戸内海航路の要所。沿岸漁業のほかミカンなどの果樹栽培が盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

忽那諸島
くつなしょとう

瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)と斎灘(いつきなだ)の境界にある防予(ほうよ)諸島東部の島群。南北朝期の開発領主忽那氏荘園(しょうえん)の勢力範囲で、愛媛県松山市に属す。中島、睦月(むづき)島、野忽那(のぐつな)島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神(ふたがみ)島に興居(ごご)島を加え、忽那七島という。ほかに22の無人島がある。領家帯花崗岩(かこうがん)類からなり、島の山地は第三紀の火山岩である安山岩などが選択侵食された開析火山群。沈降性島嶼(とうしょ)特有の複雑な海岸線をなし、入り江には漂砂が堆積(たいせき)してできた浜堤(ひんてい)が三日月状となって瀬戸内海的な汀線(ていせん)美を呈し、瀬戸内海国立公園に含まれる島が多い。温暖寡雨の気候と花崗岩の風化した土壌は、ミカン、ビワなどの果樹栽培に適している。[深石一夫]

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