瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)と斎灘(いつきなだ)の境界にある防予(ほうよ)諸島東部の島群。南北朝期の開発領主忽那氏荘園(しょうえん)の勢力範囲で、愛媛県松山市に属す。中島、睦月(むづき)島、野忽那(のぐつな)島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神(ふたがみ)島に興居(ごご)島を加え、忽那七島という。ほかに22の無人島がある。領家帯花崗岩(かこうがん)類からなり、島の山地は第三紀の火山岩である安山岩などが選択侵食された開析火山群。沈降性島嶼(とうしょ)特有の複雑な海岸線をなし、入り江には漂砂が堆積(たいせき)してできた浜堤(ひんてい)が三日月状となって瀬戸内海的な汀線(ていせん)美を呈し、瀬戸内海国立公園に含まれる島が多い。温暖寡雨の気候と花崗岩の風化した土壌は、ミカン、ビワなどの果樹栽培に適している。
[深石一夫]
愛媛県松山市の北西,瀬戸内海の安芸灘と伊予灘をわける島群。全島が松山市に所属する。このうち中島,睦月島,野忽那島,怒和(ぬわ)島,津和地島,二神島と柱島(山口県)はかつて忽那七島と呼ばれ,南朝方についた忽那氏の勢力範囲であったが,現在は柱島にかえて興居(ごご)島を加え,忽那七島とする。七島のほか釣(つる)島,由利島,大館場(おおたちば)島,クダコ島など20余の島が含まれ,興居島を除いて離島振興法指定地域である。島の産業の中心はウンシュウミカン(中島ミカンの名で最高級品として有名),イヨカン,雑柑類の栽培で,大正中期導入のタマネギも多い。主島である中島の中心集落は東部の大浦,小浜(おばま)で,官公署や商店街が集まる。南東部の長師には姫ヶ浜海水浴場がある。西部の吉木の〈忽那家文書〉と小浜の峠道にある南朝年号を刻した板碑は県指定文化財である。睦月島や野忽那島は明治以来昭和初期まで反物行商が盛んで,津和地島は水に恵まれ,帆船時代に西廻航路の潮待港,風待港として栄えた。二神島は漁業が盛んである。
執筆者:穐岡 謙治
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