忽那諸島(読み)クツナショトウ

デジタル大辞泉 「忽那諸島」の意味・読み・例文・類語

くつな‐しょとう〔‐シヨタウ〕【忽那諸島】

瀬戸内海安芸灘あきなだ伊予灘を分ける位置にある島群。愛媛県松山市に属する。平安~戦国時代忽那氏根拠地

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精選版 日本国語大辞典 「忽那諸島」の意味・読み・例文・類語

くつな‐しょとう‥ショタウ【忽那諸島】

  1. 瀬戸内海西部、愛媛県の高縄半島山口県周防大島との間にある諸島。松山市に属する。古く忽那七島と称し、南北朝時代には忽那氏の所領江戸時代には大洲藩松山藩などの所領であった。主島は中島

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「忽那諸島」の意味・わかりやすい解説

忽那諸島
くつなしょとう

瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)と斎灘(いつきなだ)の境界にある防予(ほうよ)諸島東部の島群。南北朝期の開発領主忽那氏荘園(しょうえん)の勢力範囲で、愛媛県松山市に属す。中島、睦月(むづき)島、野忽那(のぐつな)島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神(ふたがみ)島に興居(ごご)島を加え、忽那七島という。ほかに22の無人島がある。領家帯花崗岩(かこうがん)類からなり、島の山地は第三紀の火山岩である安山岩などが選択侵食された開析火山群。沈降性島嶼(とうしょ)特有の複雑な海岸線をなし、入り江には漂砂堆積(たいせき)してできた浜堤(ひんてい)が三日月状となって瀬戸内海的な汀線(ていせん)美を呈し、瀬戸内海国立公園に含まれる島が多い。温暖寡雨の気候と花崗岩の風化した土壌は、ミカン、ビワなどの果樹栽培に適している。

[深石一夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「忽那諸島」の意味・わかりやすい解説

忽那諸島 (くつなしょとう)

愛媛県松山市の北西,瀬戸内海の安芸灘と伊予灘をわける島群。全島が松山市に所属する。このうち中島,睦月島,野忽那島,怒和(ぬわ)島,津和地島,二神島と柱島(山口県)はかつて忽那七島と呼ばれ,南朝方についた忽那氏の勢力範囲であったが,現在は柱島にかえて興居(ごご)島を加え,忽那七島とする。七島のほか釣(つる)島,由利島,大館場(おおたちば)島,クダコ島など20余の島が含まれ,興居島を除いて離島振興法指定地域である。島の産業の中心はウンシュウミカン(中島ミカンの名で最高級品として有名),イヨカン,雑柑類の栽培で,大正中期導入のタマネギも多い。主島である中島の中心集落は東部の大浦,小浜(おばま)で,官公署や商店街が集まる。南東部の長師には姫ヶ浜海水浴場がある。西部の吉木の〈忽那家文書〉と小浜の峠道にある南朝年号を刻した板碑は県指定文化財である。睦月島や野忽那島は明治以来昭和初期まで反物行商が盛んで,津和地島は水に恵まれ,帆船時代に西廻航路の潮待港,風待港として栄えた。二神島は漁業が盛んである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「忽那諸島」の意味・わかりやすい解説

忽那諸島
くつなしょとう

愛媛県北西部,瀬戸内海に浮かぶ島嶼群。別称忽那七島。松山市に属する。安芸灘伊予灘の間にあり,中島を最大に,睦月島,野忽那島,怒和島,二神島,津和地島興居島の7島のほか釣島,由利島など約 20の小島を含む。地質は花崗岩,輝石安山岩,石灰岩からなる。鎌倉時代から忽那氏の領地で,南北朝時代には南朝方の拠点の一つであった。ビワ,モモ,柑橘類栽培,漁業が主要産業。船踊り,大名行列など特異な民俗行事が残っている。全島が瀬戸内海国立公園に属する。松山市高浜港から主要島に定期船が運航。

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百科事典マイペディア 「忽那諸島」の意味・わかりやすい解説

忽那諸島【くつなしょとう】

愛媛県の中島町(現・松山市)を構成する諸島と松山市に属する興居(ごご)島の総称。藤原道長の後裔が流されて忽那氏が始まったと伝え,南北朝期には島を拠点として強力な海上勢力を示した。ミカン栽培と漁業が盛ん。
→関連項目忽那氏

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