津屋崎浦(読み)つやざきうら

日本歴史地名大系 「津屋崎浦」の解説

津屋崎浦
つやざきうら

[現在地名]津屋崎町津屋崎

津屋崎村の北にあり、宗像七浦の一とされる(津屋崎町史)。漁戸・商戸が混在し、東古小路ひがしこしようじ町・西古小路町・北本きたほん町・上本かみほん町・よこ町・浜町南はままちみなみ下魚しもうお町・上魚町上船津かみふなつ町・下船津町が町立てされていた(地理全誌)。「応安神事次第」戊本によると、四月一日の大勝浦年毛社祭事で「津屋崎」は懸魚の役を勤めている。津屋崎浦は白石しらいし網底をめぐり勝浦かつうら浜などと争ったが、弘治二年(一五五六)一二月一日と永禄三年(一五六〇)一一月一〇日に宗像氏貞が勝浦浜などの権利を認めている(弘治二年一二月一日「宗像氏重臣連署奉書」青柳種信資料・永禄三年一一月一〇日「宗像氏重臣連署奉書写」松崎文書館蔵嶺文書/宗像市史 史料編二など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報