日本歴史地名大系 「津山城下町絵図」の解説 津山城下町絵図(宝永町絵図)つやまじようかまちえず 一三八×二〇五センチ原図 津山郷土博物館解説 正式な表題はない。武家屋敷地・町人町・寺社地を三色で色分けしている。武家地のうち山下・田町・城代町・北町の居住者名および敷地の間数を記し、東西二ヵ所の寺院街でも寺名を記す。町人町については何も記していないが、四〇ヵ所余に設置されている関貫は印を記す。旧津山藩士大橋家旧蔵で藩士名と徳守宮北前の町屋の成立から描かれた状況は宝永期と推定されるが、時代的にはやや矛盾する記載もみられ、成立は宝永期より若干後世と考えられる。 津山城下町絵図(嘉永町絵図)つやまじようかまちえず 三七×五三センチ成立 嘉永七年原図 津山郷土博物館解説 正式な表題はない。武家屋敷地・町人町・寺社地を三色で色分けしている。武家屋敷地については南新座・北町・上之町・城代町の一部屋敷が空白となっている。享保期と比較し家臣数が減少しているためであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by