津波村(読み)ちふあむら

日本歴史地名大系 「津波村」の解説

津波村
ちふあむら

[現在地名]大宜味村津波つは宮城みやぎ

東シナ海山地に挟まれたわずかな平坦地に立地し、北の宮城みやぎ島に屋取集落の宮城まーぐしくがある。チファとよぶ。初め国頭方羽地はにじ間切に属していたが、康熙一二年(一六七三)田湊たんな間切(のち大宜味間切と改称)が設置された時、田湊間切に編入された(「球陽」尚貞王五年条など)。絵図郷村帳に羽地間切「つは村」とみえる。琉球国高究帳には同間切「津波村」と記され、高頭三〇石余、うち田二五石余(うち永代荒地六斗余)・畠四石余。御嶽としてテクフ嶽・津波城ちふあぐしく嶽・石城いしぐしく嶽があり、当村の津波ちふあ巫火神・神アシアゲの祭祀は津波ノロがつかさどっている(琉球国由来記)。津波で行われる旧暦六月の「アラグナヘー」とよばれる行事と八月の村踊のなかで謡われる古謡「ハミシジュリのウムイ」のなかに「あさかぐち」(神木アザカの生えている杜の入口)が登場し、これは津波村の住民の一部がかつて住んでいた「旧村ヒナン」にある拝所だという(やんばるの祭りと神歌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報