津金郷(読み)つがねごう

日本歴史地名大系 「津金郷」の解説

津金郷
つがねごう

下津金・上津金を遺称地とする。永禄一二年(一五六九)一〇月三日の武田家印判状(深沢家文書)に津金郷とみえ、小笠原弾正少輔信興は北条綱重との戦いでの戦功として当郷一〇〇貫文を宛行われた。戦国時代この地域には土豪集団である津金衆が存在し、武田氏滅亡後に徳川家康が甲斐に入ってくるのに味方してから目立つ活躍をするようになった。天正一〇年(一五八二)の天正壬午起請文のなかに津金衆として小尾監物・小池筑前・津金修理・跡部又十郎・小尾彦五郎がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む