津隈庄(読み)つのくまのしよう

日本歴史地名大系 「津隈庄」の解説

津隈庄
つのくまのしよう

長峡ながお川の下流右岸、現大字上津熊かみづくま・中津熊・下津熊一帯に比定される宇佐宮領庄園。「宇佐大鏡」に本御庄一八ヵ所の一として「津隈庄」とみえ、京都みやこ仲津なかつ両郡に散在していた封田を公田と交換することで成立し、さらに康平四年(一〇六一)に封田との交換により新加入田を得たもので、田数は七〇町であった。しかし依然内部に公田八町余を取籠めていた。建久八年(一一九七)豊前国図田帳断簡(到津文書/鎌倉遺文二)では四〇町とあり、宇佐宮万灯会のために地子米一七石五斗六升を負担していた。ただしうち八石七斗四升は庄内に設定された弁分とよばれる名が負っていた。文永二年(一二六五)六月宇佐宮政所惣検校の益永行輔は弁分の弁済使職ほかを妻子に譲っている(「宇佐行輔申状案」益永文書/鎌倉遺文一三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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