浄教寺村(読み)じようきようじむら

日本歴史地名大系 「浄教寺村」の解説

浄教寺村
じようきようじむら

[現在地名]福井市浄教寺町

一乗谷川の最上流部に位置し、北隣する東新町ひがしじんまち村のほかは三方を山に囲まれる。永禄二年(一五五九)一一月越前を訪れ、越年した連歌師宗養の「宗養発句付句」詞書に「浄教寺町衆より夏菊を送りて所望」とあり、城戸内きどのうちから離れたこの谷奥にも城下町の町衆が住んでいたことが知られる。当村中央堂垣内どうがいちの地蔵堂一帯には一〇〇基の石仏・石塔が集中し、なかには寛正五年(一四六四)の銘を有する板碑もある。堂垣内の東方山中に堂山どうやまという地名があるが、村名の起源となった浄教寺跡ともいわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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