一乗谷地区
いちじようだにちく
福井市の東南部、戦国大名朝倉氏の城下町があった地域。この地域は古くは「一乗」と呼ばれていた。一乗谷とよばれるようになるのは、永正九年(一五一二)の「月舟録」や「公卿補任」の大永五年(一五二五)以降で、清原宣賢など、越前下向の公家や僧侶らが主に用いた。現在も一乗と一乗谷は併用されている。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に載る南宇坂下郷の石高一二七〇・四一五石は安波賀・中島・城戸内・東新町・西新町・浄教寺の六ヵ村を含み、これに鹿俣村を加えて、明治二二年(一八八九)の町村制施行の際一乗谷村が成立。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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