日本歴史地名大系 「浅小井村」の解説 浅小井村あさごいむら 滋賀県:近江八幡市浅小井村[現在地名]近江八幡市浅小井町北庄(きたのしよう)村の南東にあり、北は西(にし)の湖に面する。元禄年間(一六八八―一七〇四)旗本三枝領となり、以後同領で幕末に至る。寛永石高帳では高一千五一一石余、慶安二年書上によると田一千二八六石余・畑屋敷一六〇石余・永荒六四石余、正保郷帳では村高のほかに西の湖の干拓地分高二五石が記される。干拓はさらに進められたとみえ、元禄郷帳では高一千八二一石余、天保郷帳では高二千一三三石余と増加。西隣の西(にし)ノ庄(しよう)村北部の西の湖干拓地は当村の人々により開拓されたが、西ノ庄村の領主であった大和郡山藩が三枝氏より「御縄請」して支配。享保九年大和郡山領郷鑑では「西ノ庄・浅小井村」とみえ、無住、田高三一〇石余、反別一三町四反余、藺田二反。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by