浅川陣屋跡(読み)あさかわじんやあと

日本歴史地名大系 「浅川陣屋跡」の解説

浅川陣屋跡
あさかわじんやあと

[現在地名]浅川町浅川

江戸中期以降、越後高田藩および幕府によって使用された陣屋。寛保元年(一七四一)榊原政永は播磨姫路藩から越後高田藩へ移封され、一五万石を領した。領知高は越後国頸城くびき(現新潟県)内の六万七千四八〇石余と陸奥国石川・白河田村・岩瀬四郡の八万四千六三六石余で、このうち陸奥分を支配するために設置したのが浅川陣屋である。陣屋設置の理由について、文政三年(一八二〇)の浅川陣屋御用書留覚帳(塩田家文書)に「榊原家御役人様石川町江御到着仮宅中、同町川満水、居宅へ水付、町内通路も相成兼候程之不自由之場所ニ而、御領中御用弁茂不宜之思召、御陣屋所ニ不被仰付趣ニ候、御領分中端シ之浅川江御陣屋被仰付候訳、同所ニ円福之もの御座候而、御普請金其外御勝手向才判之儀御請申上候趣ニ而、御陣屋所ヲ被仰付」とあり、当初石川町(現石川町)に設置する予定であったのが浅川に変更されたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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