浅舞村(読み)あさまいむら

日本歴史地名大系 「浅舞村」の解説

浅舞村
あさまいむら

[現在地名]平鹿町浅舞

東は醍醐だいご村・上樋口かみひのくち村・中吉田なかよしだ村・下吉田しもよしだ村、西は樽見内たるみない村・砂子田すなごだ村と西石塚にしいしづか(現雄物川町)、南は下鍋倉しもなべくら村、北は村(現大雄たいゆう村)に接する。

梅津政景日記」元和四年(一六一八)四月一日条に、帰国する藩主を政景らが浅舞に迎えている。羽州街道からやや西へそれ、藩主が鷹狩に度々使用し、元和七年二月一五日条に「大曲より屋形様今日朝舞へ御出之由」とある。

享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に枝郷として加羽かば四ヵ村(蒋沼がずきぬま以外の新堀しんぼり酌子沼しやくしぬま井野岡谷地いのおかやちの三ヵ村は廃村)、豊前谷地ぶぜんやち村・蛭野ひるの村・大中嶋おおなかじま村・上中野かみなかの村・高口たかぐち村・高野たかの村・五味川ごみかわ村・沼下ぬました村・道川みちかわ村および廃村の本新平川もとしんへいかわ村・下中野しもなかの村があり、寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳に、村名変更の加羽村・豊前村、新出の玄福寺げんぷくじ村・上り知あがりち村・福田ふくだ村がみえ、文政期(一八一八―三〇)の「雪の出羽路」に、浅舞村の町部に変わった蒋沼町がみえ、高野村は、寛文年中(一六六一―七三)に杉山弥七郎が開いたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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