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小野寺義道 おのでら よしみち

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野寺義道 おのでら-よしみち

1566-1646* 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)9年8月5日生まれ。小野寺景道(かげみち)の子。出羽(でわ)横手城(秋田県)城主。関ケ原の戦いで,西軍の上杉景勝(かげかつ)に味方し,石見(いわみ)(島根県)津和野に追放された。正保(しょうほ)2年11月22日死去。80歳。名は別に綱元。通称は孫十郎,弥七郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野寺義道

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:永禄9(1566)
安土桃山時代の武将。輝道の次男,母は鮭延氏の娘。孫十郎。官途は遠江守。小野寺氏は奥羽合戦後,出羽国雄勝郡地頭職に補任され,やがて京都扶持衆などを経て輝道の代天正10(1582)年ごろまでには雄勝郡を中心に勢力を有する戦国大名に成長。義道の代にも最上,戸沢,秋田各氏と対立が続いた。奥羽仕置の際には領内で反対する仙北一揆が起こり,そのため天正19年所領の3分の1が没収され,上浦郡に3万1600石を給された。慶長5(1600)年関ケ原,出羽合戦では上杉景勝に味方して最上氏と対峙したが,秋田,六郷両氏に攻められ降伏。寛永6(1629)年領地を没収され,石見国津和野城主坂崎出羽守成正に預けられ,のち亀井豊前守に預けられた。<参考文献>深沢多市『小野寺盛衰記』,遠藤巌「戦国大名小野寺氏」(『秋大史学』34号)

(伊藤清郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おのでらよしみち【小野寺義道】

1566‐1645(永禄9‐正保2)
戦国末~江戸初期の武将。出羽国横手城(現,秋田県横手市)城主。戦国末期に,南の最上氏,北の戸沢氏,秋田氏と戦う。1591年(天正19)豊臣秀吉より仙北上浦郡のうち3万1600石を安堵された後も最上氏との領地争いをくり返し,関ヶ原の戦では出羽国内で西軍に応じて戦う。戦後1601年(慶長6)領地を没収され,石見国津和野城主坂崎出羽守に預けられ,配所で死す。【今野 真】

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