小野寺義道(読み)おのでらよしみち

改訂新版 世界大百科事典 「小野寺義道」の意味・わかりやすい解説

小野寺義道 (おのでらよしみち)
生没年:1566-1645(永禄9-正保2)

戦国末~江戸初期の武将出羽国横手城(現,秋田県横手市)城主。戦国末期に,南の最上氏,北の戸沢氏秋田氏と戦う。1591年(天正19)豊臣秀吉より仙北上浦郡のうち3万1600石を安堵されたが,その後も最上氏との領地争いをくり返し,関ヶ原の戦では出羽国内で西軍に応じて戦う。このため戦後1601年(慶長6)領地を没収され,石見津和野城主坂崎出羽守に預けられ,配所で死んだ。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野寺義道」の解説

小野寺義道 おのでら-よしみち

1566-1646* 織豊時代の武将。
永禄(えいろく)9年8月5日生まれ。小野寺景道(かげみち)の子。出羽(でわ)横手城(秋田県)城主。関ケ原戦いで,西軍の上杉景勝(かげかつ)に味方し,石見(いわみ)(島根県)津和野に追放された。正保(しょうほ)2年11月22日死去。80歳。名は別に綱元。通称は孫十郎,弥七郎。

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367日誕生日大事典 「小野寺義道」の解説

小野寺義道 (おのでらよしみち)

生年月日:1566年8月5日
安土桃山時代;江戸時代前期の出羽国の武将
1645年没

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