朝日日本歴史人物事典 「小野寺義道」の解説
小野寺義道
生年:永禄9(1566)
安土桃山時代の武将。輝道の次男,母は鮭延氏の娘。孫十郎。官途は遠江守。小野寺氏は奥羽合戦後,出羽国雄勝郡地頭職に補任され,やがて京都扶持衆などを経て輝道の代天正10(1582)年ごろまでには雄勝郡を中心に勢力を有する戦国大名に成長。義道の代にも最上,戸沢,秋田各氏と対立が続いた。奥羽仕置の際には領内で反対する仙北一揆が起こり,そのため天正19年所領の3分の1が没収され,上浦郡に3万1600石を給された。慶長5(1600)年関ケ原,出羽合戦では上杉景勝に味方して最上氏と対峙したが,秋田,六郷両氏に攻められ降伏。寛永6(1629)年領地を没収され,石見国津和野城主坂崎出羽守成正に預けられ,のち亀井豊前守に預けられた。<参考文献>深沢多市『小野寺盛衰記』,遠藤巌「戦国大名小野寺氏」(『秋大史学』34号)
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報