日本歴史地名大系 「平鹿郡」の解説
平鹿郡
ひらかぐん
横手盆地の南部を占め、東は奥羽山脈の支脈
「続日本紀」天平宝字三年(七五九)九月二六日条に「始置出羽国雄勝・平鹿二郡」とある。雄勝郡は同書天平五年(七三三)一二月二六日条に「出羽柵遷置於秋田村高清水岡、又於雄勝村建郡居民」とあり、すでに建郡され、現在の平鹿・仙北二郡の地が平鹿郡として分置された。その後、「三代実録」貞観一二年(八七〇)一二月八日条に「出羽国山本郡安隆寺預之定額」とあり、山本郡(現仙北郡)が平鹿郡から分置されている。
しかし、雄勝・平鹿・山本三郡の境界は明確でなかったらしく、「三代実録」元慶四年(八八〇)二月二五日条に「先是出羽国言、管諸郡中山北、雄勝平鹿山本三郡、遠去国府、近接賊地」とみえ、三郡を
室町期になると県南三郡を山北または雄勝仙北と称す例が多くなり、平鹿・山本の称はあまり使われなくなった。戦国期に多く用いられた山北を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報