平鹿郡(読み)ひらかぐん

日本歴史地名大系 「平鹿郡」の解説

平鹿郡
ひらかぐん

面積:五八二・七六平方キロ
増田ますだ町・十文字じゆうもんじ町・平鹿ひらか町・雄物川おものがわ町・大雄たいゆう村・大森おおもり町・山内さんない

横手盆地の南部を占め、東は奥羽山脈の支脈真昼まひる山地で岩手県に、西は出羽山地で由利郡に接する。南は雄勝おがち郡・湯沢市、北は横手市・大曲おおまがり市・仙北せんぼく郡に接する。郡内を現国道一三号(旧羽州街道)が南北に走り、皆瀬川・成瀬川および山内村の山地に源を発する横手川(あさひ川)その他の小河川を合わせて北流する雄物川の中流域に位置する。

「続日本紀」天平宝字三年(七五九)九月二六日条に「始置出羽国雄勝・平鹿二郡」とある。雄勝郡は同書天平五年(七三三)一二月二六日条に「出羽柵遷置於秋田村高清水岡、又於雄勝村郡居民」とあり、すでに建郡され、現在の平鹿・仙北二郡の地が平鹿郡として分置された。その後、「三代実録」貞観一二年(八七〇)一二月八日条に「出羽国山本郡安隆寺預之定額」とあり、山本郡(現仙北郡)が平鹿郡から分置されている。

しかし、雄勝・平鹿・山本三郡の境界は明確でなかったらしく、「三代実録」元慶四年(八八〇)二月二五日条に「先是出羽国言、管諸郡中山北、雄勝平鹿山本三郡、遠去国府、近接賊地」とみえ、三郡を山北せんぼくと総称した。文和二年(一三五三)の陸奥国遠田郡篦峰こんぽう寺十一面観音像の血書胎内経に「山北平賀横手」とあり、平賀郡とも記された。

室町期になると県南三郡を山北または雄勝仙北と称す例が多くなり、平鹿・山本の称はあまり使われなくなった。戦国期に多く用いられた山北を上浦かみうら(現雄勝郡・平鹿郡)北浦きたうら(現仙北郡)に分ける呼び方は、雄勝・平鹿・仙北三郡にまたがる横手盆地が、昔は湖であったという伝えから生じたといわれる。この呼称は、一五世紀頃から仙北郡角館かくだて(現角館かくのだて町)を中心に発展した戸沢氏と、雄勝郡を本拠として北の平鹿郡に勢力を広げた小野寺氏が対抗するようになってから、いっそう明確になった。天正一九年(一五九一)一月一七日付、豊臣秀吉知行宛行状は、雄勝・平鹿二郡の領主で現横手市を本拠とした小野寺孫十郎あてのものに「出羽国仙北之内上浦郡」と記す。「信長公記」天正七年七月二五日条に「出羽の千福と申処の前田薩摩守」ともあり、三郡の総称として山北・仙北・千福が併用された。寛文四年(一六六四)幕府の領地目録朱印状(義宣家譜)で、三郡の総称としての仙北は使用されなくなった。しかし天保五年(一八三四)の仙北郡北部の百姓一揆は、前北浦・奥北浦一揆とよばれ、古い呼称が存続していたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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