浅草瓦町(読み)あさくさかわらまち

日本歴史地名大系 「浅草瓦町」の解説

浅草瓦町
あさくさかわらまち

[現在地名]台東区浅草橋あさくさばし一―二丁目・柳橋やなぎばし一丁目

浅草茅あさくさかや町二丁目の北に続き、日光道中の両側にある。東は浅草瓦町続横あさくさかわらまちつづきよこ町、北東は信濃上田藩松平氏中屋敷地、西は浅草福井あさくさふくい町一―二丁目と備中鴨方藩池田氏上屋敷。往古は豊島郡峡田はけた鳥越とりごえ村に含まれ、元和二年(一六一六)町屋として起立された。瓦焼職人が住していたことにちなみ、町名を瓦町としたという(文政町方書上)。寛文新板江戸絵図には日光道中の西側に「かはら丁」と記されている。貞享年間(一六八四―八八)には日光道中東側の町域の一部が収公されて切米手形事務を取扱う書替所御役屋敷となり、その代地として本所林ほんじよはやし(現墨田区)の一部を給された(沿革図書・文政町方書上)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報