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浅野長直 あさの ながなお

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浅野長直 あさの-ながなお

1610-1672 江戸時代前期の大名。
慶長15年生まれ。浅野長重の子。寛永9年父の跡をつぎ,常陸(ひたち)(茨城県)笠間(かさま)藩主浅野家2代。正保(しょうほ)2年播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)に転封(てんぽう),赤穂藩主浅野家初代となる。5万3500石。山鹿素行(やまが-そこう)を厚遇して人材をそだて,また新田開墾,塩田開発などにつとめた。寛文12年7月24日死去。63歳。初名は長綱。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

浅野長直

没年:寛文12.7.24(1672.9.15)
生年:慶長15(1610)
江戸時代前期の大名。父は浅野長政の3男で常陸国(茨城県)笠間城城主長重。寛永9(1632)年父の遺領を継ぐが,正保2(1645)年播州(兵庫県)赤穂郡他5万余石に転封。入封時,赤穂には城郭の構えがなかったが,慶安1(1648)年幕府の許しを得て築城におよんでいる。また大坂の商人らの勧めで沿海部の塩浜を,それまでの揚浜から新式の入浜塩田に改め,さらに続々と新田を開発。塩田は浅野氏の時代中に127町歩(126ha)におよび,約40万6000俵(1俵が5斗=90リットル入り)の製塩をみる。これらのほとんどが大坂に販売されて藩の財政を潤した。この時代,瀬戸内に普及した入浜塩田の多くは赤穂塩田を範とした。

(後藤陽一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の浅野長直の言及

【赤穂藩】より

…そのあと池田輝興が入封したが,彼も45年(正保2)狂気して改易となる。代わって浅野長直が常陸国笠間から入封,藩政は確立期を迎え,新城と城下町は完成した。海辺一帯に入浜塩田が干拓され,塩田で海水を濃縮する入浜塩田法が開発されるが,この新技術はやがて瀬戸内の十州塩田に広がる(赤穂塩田)。…

【浅野氏】より

…近世大名。外様。清和源氏頼光流土岐光時が尾張国丹羽郡浅野村に住して浅野氏を称し,その後裔長勝に起こるとする。長勝の婿養子が長吉(のち長政)で,織田信長に仕えたが,豊臣秀吉とは相婿であるため,豊臣政権では重んじられて五奉行の首座に列した。1587年(天正15)九州征討後,若狭一国を与えられ,文禄の役には軍監として朝鮮に渡り,功により93年(文禄2)嫡子幸長(よしなが)とともに甲斐国に移り21万石余を領した。…

※「浅野長直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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