江戸前期の儒者、兵学者。名は高興(たかおき)、字(あざな)は子敬(しけい)、通称は甚五左衛門、素行は号。元和(げんな)8年8月16日会津若松に生まれる。江戸に出、1630年(寛永7)林羅山(はやしらざん)に入門、儒学を学び、小幡景憲(おばたかげのり)、北条氏長(ほうじょううじなが)に兵学を学ぶ。若くして『四書諺解(げんかい)』『兵法神武雄備集』(1651)を著し、さらに神道(しんとう)・和学を修めるなど秀才ぶりを発揮し名声をあげた。幕府仕官の内意があったが、将軍家光(いえみつ)の死により実現しなかった。1652年(承応1)より1660年(万治3)まで、門人でもあった播磨(はりま)赤穂(あこう)藩主浅野長直(あさのながなお)(1610―1672)に仕え、この間兵学上の主著『武教全書』(1656)などを著す。林家入門以来朱子学の訓詁(くんこ)に親しんでおり、のち老荘や禅にもひかれ、儒仏老三教一致的な見解を述べたこともあるが、35歳の『修教要録』では朱子学の立場にたつ。
しかし朱子学の、日常から遊離した観念的な思弁と日常の生活行為と遮断された内面の修養に対する批判は、それ以後しだいに明確となり、門人たちが編纂(へんさん)した『山鹿語類』(1665成立)では、漢(かん)・唐(とう)・宋(そう)・明(みん)の書を媒介とせず直接古代の聖賢の教えにつくべきであるとする古学的立場が表明され、『語類』聖学篇(へん)の要約ともいえる1665年(寛文5)に著された『聖教要録』では、古学転回後の素行学が体系的に展開された。しかし『聖教要録』は「不届成(ふとどきなる)書物」とされ、翌1666年幕府によって播磨赤穂に流され、1675年(延宝3)許されるまで流謫(るたく)の身であった。その間、朱子の『四書集註(ちゅう)』を批判した『四書句読(ししょくとう)大全』、日本を中華とする日本主義の立場から神代・古代について述べた『中朝事実』、武家の百科全書ともいうべき『武家事紀』などを著し、配流から赦免された1675年には自伝的著作として有名な『配所残筆』を著した。その後江戸において主として兵学に関する講学・著述に努め、『原源発揮諺解』などを著したが、貞享(じょうきょう)2年9月26日江戸の私邸積徳堂に没した。享年64歳。その墓は現在、東京新宿区の宗参寺(そうさんじ)にある。
素行の門人・支持者のうち大名では、浅野長直をはじめ陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩主津軽信政(つがるのぶまさ)(1646―1710)、下野(しもつけ)烏山(からすやま)藩主板倉重矩(いたくらしげのり)(1617―1673)、肥前(ひぜん)大村藩主大村純長(おおむらすみなが)(1636―1706)、同平戸(ひらど)藩主松浦鎮信(まつらしげのぶ)(素行の弟義行(よしゆき)が家老として仕え、のち孫高道が平戸に下り、一族は現在に至っている。平戸には山鹿文庫があり重要文化財の稿本類を伝えている)らが知られている。
[佐久間正 2016年7月19日]
『『山鹿素行全集』全15巻(1940~1942・岩波書店)』▽『田原嗣郎・守本順一郎校注『日本思想大系32 山鹿素行』(1970・岩波書店)』▽『堀勇雄著『山鹿素行』(1959/新装版・1987・吉川弘文館)』▽『佐佐木杜太郎著『山鹿素行』(1978・明徳出版社)』▽『山鹿光世著『山鹿素行』(1981・原書房/再刊・1999・錦正社)』
江戸前期の兵学者,儒者。江戸時代には山鹿流兵法の名とともに兵学者として最も名高く,後世では朱子学を批判した儒者として知られる。名は高興,高祐など,通称は甚五左衛門,素行と号し積徳堂ともいった。浪人の子として会津若松に生まれ6歳で江戸に移り,林羅山に入門し,ついで小幡景憲,北条氏長について兵学を修めた。幼時から学問にすぐれたが,しだいに兵学者として名を知られるようになり,諸大名から招かれたが仕官せず,幕府に仕えることを願った。この願望は終生続いたが達せられなかった。1652年(承応1)から60年(万治3)まで赤穂浅野家に仕えたのは,慶安事件などで浪人の取締りがきびしくなったからであろう。素行の兵学は近世のそれが軍法(戦技,戦術)から士法(武士のあり方)へと重点を移してきたのにそって,儒学を基礎として〈士〉としてのあり方を中心に説かれ,みずから武教と称した。35歳ごろにはこの兵学は完成し,《武教本論》《武教全書》が主著である。40歳を過ぎるころから,当時の儒学の主流であった朱子学に疑問をもつようになり,65年(寛文5)には《聖教要録》を著して朱子学を批判したが,〈不届なる書物〉を刊行したとの理由で幕命により,66年から75年(延宝3)まで赤穂浅野家に預けられた。この事件の裏には朱子学者山崎闇斎を支持する将軍補佐役の保科正之があるといわれる。素行は朱子学を君臣,父子などの人倫を軽視し,自己の内側に最高善を求める内観的な思想すなわち仏教同様の思想として批判したのであったから,理論的には問題であるが,彼自身は人倫を重視し,それを天地の誠-聖人の道で基礎づけようとする方向をたどった。また晩年には,日本が聖人の道の行われた最もすぐれた国であるとする立場をとるようになり,《中朝事実》を著した。そのほかに《山鹿語類》《謫居童問》《武家事紀》《配所残筆》などの著書が重要である。
執筆者:田原 嗣郎
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(沼田哲)
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1622.8.16~85.9.26
江戸前期の儒学者・兵学者。父は貞以(さだもち)。名は高祐また高興,字は子敬,通称は甚五左衛門,素行は号。陸奥国会津若松生れ。9歳で林羅山(らざん)に入門,15歳で甲州流兵学の小幡景憲(おばたかげのり)・北条氏長に入門し,武芸と兵学を学ぶ。さらに広田坦斎(たんさい)から和歌・歌学を,高野山按察(あぜち)院の光宥から神道を学んだ。1652年(承応元)播磨国赤穂藩に1000石で仕えたが60年(万治3)辞し,江戸で教育と学問に専念した。朱子学に疑問を抱き,直接「周公孔子の道」につくことを唱え,65年(寛文5)「聖教要録」を刊行し,保科正之らの忌諱にふれ旧主赤穂藩に配流。75年(延宝3)赦され江戸浅草に居住。朱子学の内面主義を批判して日用有用の学を提唱したが,その学統は,儒学説よりも山鹿流兵学として継承されていった。代表作は「四書句読大全」「謫居童問(たっきょどうもん)」「中朝事実」「武家事紀」。
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…江戸前期では,仏教を虚学とし,儒教とくに朱子学を実学と考えた林羅山,中江藤樹らによれば道徳的実践,人間的真実の追求こそ実学と考えられた。古学派があらわれるに及び,山鹿素行は日常生活における道徳的実践と結びついた学問を実学とし,荻生徂徠によると歴史学にみられる事実に即した学問のなかに実学は成立すると考え,価値判断から自由な事実認識の上にたつ実証的な学問こそ真の学問であるとして,従来の道徳的実践を中心におく学の大変革を行った。 徂徠以後,実学思想は一変した。…
…新井白石は朱子学系統の学者ではあるが日本の歴史地理にも通暁し,その著書《古史通》において神代史に対し合理的解釈を展開,〈神は人なり〉の立場から,儒教的合理主義の神道観を究極まで発展させた。古学派の祖山鹿素行も広田坦斎から忌部流の神道を伝授されたと伝えているが(《配所残筆》),これが彼の武学思想における日本主義的傾向の一要因となったことは確かである。しかし彼自身が独自の神道論を展開することはなかった。…
…江戸前期の儒者山鹿素行の著書。赤穂流謫中の1669年(寛文9)に書き上げられ,81年(天和1)津軽藩から板行された。…
…山鹿素行の自伝的著作。1巻。…
…本書は《中朝事実》とともに素行が播磨赤穂に配流中執筆したもので,素行の気迫と博学とが遺憾なく発揮されている。《山鹿素行全集》所収。【岩沢 愿彦】。…
…士道も武士道も武士社会に武士の心組み,生き方として自覚されたものであり,武士の思想としての共通性をもつが,武士道は儒教的な士道に対して批判的な立場をとるものであり,士道が人倫の道の自覚を根本とするのに対して,武士道は死のいさぎよさ,死の覚悟を根本とする。
[士道論と武士道論]
近世の士道論を代表するのは山鹿素行であり,狭義の武士道論を代表するのは《葉隠》である。まず両者の死に対する姿勢をとり上げると,素行はつねに〈死を心にあて〉るべきだとし,《葉隠》は〈武士道と云は死ぬ事と見付けたり〉という。…
… しかし兵法の諸流派が喧伝されるようになったのは幕藩体制下軍学(兵学)が興隆してからである。軍学の主流は武田氏の遺臣と称する小幡景憲が創始した甲州流軍学と考えてよいであろうが,この門下から北条氏長が出て北条流を開き,氏長の門下から山鹿素行が出て山鹿流を開き,《兵法神武雄備集》《武教全書》などの兵書を著した。氏長と同門の小早川能久の門下には香西成資があって《武田兵術文稿》を著した。…
※「山鹿素行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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