浜分村
はまぶんむら
[現在地名]今津町浜分
石田川河口左岸にあり、南対岸は新保村、北は北仰村。石田村・領家村・地頭村・川尻村・辻村の総称。また領家・地頭を市ヶ崎と称したともいう。天正一五年(一五八七)京都聚楽第に天皇行幸があったとき、豊臣秀吉は近衛家に浜分村内二〇〇石を献じたという(高島郡誌)。寛永石高帳に領家村とあり、幕府領で高一千一二四石余。慶安高辻帳では旗本佐久間領、田方一千三九石余・畑方八四石余。元禄郷帳では高一千一二一石余、堅田藩領。当村に堅田藩の郡方役所が置かれ、岩佐氏が役人を勤めた。岩佐氏は旗本西郷領下でも地方役を勤めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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