浜分村(読み)はまぶんむら

日本歴史地名大系 「浜分村」の解説

浜分村
はまぶんむら

[現在地名]今津町浜分

石田いしだ川河口左岸にあり、南対岸は新保しんぼ村、北は北仰きとげ村。石田村・領家りようけ村・地頭じとう村・川尻かわしり村・つじ村の総称。また領家・地頭いちさきと称したともいう。天正一五年(一五八七)京都聚楽じゆらく第に天皇行幸があったとき、豊臣秀吉は近衛家に浜分村内二〇〇石を献じたという(高島郡誌)。寛永石高帳に領家村とあり、幕府領で高一千一二四石余。慶安高辻帳では旗本佐久間領、田方一千三九石余・畑方八四石余。元禄郷帳では高一千一二一石余、堅田藩領。当村に堅田藩の郡方役所が置かれ、岩佐氏が役人を勤めた。岩佐氏は旗本西郷領下でも地方役を勤めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む