20世紀日本人名事典 「浜村秀雄」の解説
浜村 秀雄
ハマムラ ヒデオ
- 生年
- 昭和3(1928)年7月20日
- 没年
- 平成12(2000)年5月7日
- 出身地
- 山口県秋穂町
- 学歴〔年〕
- 秋穂国民学校高等科卒
- 主な受賞名〔年〕
- ヘルムス賞
- 経歴
- 塩田作業従事を経て、昭和28年山口県体育協会事務局に勤務。32年協和醱酵工業に転じた。この間、26年ボストンニューデリー派遣壮行マラソンでデビュー。27年第1回別府マラソンで優勝。28年朝日マラソン(現・福岡国際マラソン)、29年毎日マラソン(現・びわ湖毎日マラソン)両大会で優勝。日本の第一人者となり、30年ボストンマラソンで当時世界歴代2位の記録2時間18分22秒を出し金メダルを獲得。31年メルボルン五輪16位、33年東京アジア大会5位となった。現役引退後は、実業団の協和醱酵工業陸上競技部、丸久、ユニクロなどの監督を務め、中国駅伝や全日本実業団駅伝などで指揮し、また中国実業団陸上連盟常任理事を務めた。出身地の秋穂町では、栄光の足跡を語り継ごうと、平成4年から浜村杯秋穂ロードレース大会が開催され、名誉顧問に就任した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報