浜碇定吉(読み)はまいかり・さだきち

朝日日本歴史人物事典 「浜碇定吉」の解説

浜碇定吉

没年:没年不詳(没年不詳)
生年天保3(1832)
幕末明治期の軽業師。定吉は本名。江戸駒込追分町の米穀商常吉の子。11歳のとき同業奉公に行き,米俵の曲持を身につけた。18歳で奉公先を辞し,曲持で巡業中に足芸を習得する。あお向けに寝て両足を上げ,足の裏ではしごや樽を支える妙技に,横浜在留の外国人は驚いた。そのひとり米人バンクスに連れられて,慶応2(1866)年隅田川浪五郎らと渡米,各地で絶賛の渦を巻き起こし,大統領A.ジョンソン謁見を得た。1867年のパリ万博に出演したのち,ロンドンをはじめヨーロッパ各地を回り,明治17(1884)年に帰国した。その後の消息は不明である。

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜碇定吉」の解説

浜碇定吉 はまいかり-さだきち

1832-? 幕末-明治時代の軽業師。
天保(てんぽう)3年生まれ。足芸を得意とする一座座長。慶応2年(1866)アメリカにわたり巡業する。3年パリ万国博に出演したのちロンドンなどヨーロッパ各地をまわり,好評を博したという。明治17年帰国。その後の消息は不明。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の浜碇定吉の言及

【足芸】より

…この足芸は1820年代(文政年間)から江戸や上方で盛んに行われ,大坂の鉄割弥吉は〈足芸元祖〉として広く知られた。早くに海外を巡演した者も多く,たとえば江戸新吉原に住む浜碇定吉は,1867年(慶応3)にアメリカを経由してパリ万国博覧会へ出演。一方京都の早竹虎吉は,1866年に渡米して68年に没。…

※「浜碇定吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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