浜碇定吉(読み)はまいかり さだきち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜碇定吉」の解説

浜碇定吉 はまいかり-さだきち

1832-? 幕末-明治時代軽業師
天保(てんぽう)3年生まれ。足芸を得意とする一座座長。慶応2年(1866)アメリカにわたり巡業する。3年パリ万国博に出演したのちロンドンなどヨーロッパ各地をまわり,好評を博したという。明治17年帰国。その後の消息は不明。江戸出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の浜碇定吉の言及

【足芸】より

…この足芸は1820年代(文政年間)から江戸や上方で盛んに行われ,大坂の鉄割弥吉は〈足芸元祖〉として広く知られた。早くに海外を巡演した者も多く,たとえば江戸新吉原に住む浜碇定吉は,1867年(慶応3)にアメリカを経由してパリ万国博覧会へ出演。一方京都の早竹虎吉は,1866年に渡米して68年に没。…

※「浜碇定吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む