浦上北村(読み)うらかみきたむら

日本歴史地名大系 「浦上北村」の解説

浦上北村
うらかみきたむら

[現在地名]長崎住吉町すみよしまち住吉台町すみよしだいまち赤迫あかさこ一―三丁目・中園町なかぞのまち音無町おとなしまち柳谷町やなぎだにまち若竹町わかたけまち若葉町わかばまち千歳町ちとせまち花丘町はなおかまち家野町いえのまちいずみ一―三丁目・泉町西北町にしきたまち岩屋町いわやまち葉山はやま一―二丁目・エミネント葉山町はやままち

浦上西村の北にあり、浦上川支流の岩屋いわや川が流れる。江戸時代ははじめ幕府領で、慶長一〇年(一六〇五)より大村藩領、向地むかえち地区に属する。同年の大村領内高目録に「浦上ノ内北村」とみえ、高五九二石余で、田四七町二反余・畠一〇町九反余、物成三二六石余。同一七年の総検地では「浦上北村」として高五九二石余(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高も同高とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む