日本歴史地名大系 「浮嶽」の解説 浮嶽うきだけ 福岡県:糸島郡二丈町浮嶽二丈町と佐賀県七山(ななやま)村との境にあり、標高八〇五・二メートル。筑紫(ちくし)富士と通称され、吉井(よしい)岳ともいう。「続風土記」は吉井村の南にある高山で、西に「とんぼう」(現十坊山)という山、東に「めだけ」(真名子とんぼう)があるとする。山頂に浮嶽神社上宮、渡瀬(わたぜ)に同中宮が祀られ、浮嶽権現と総称された。社伝などによれば、天平年間(七二九―七四九)清賀が浮嶽を神体とする神社の神宮寺として久安(きゆうあん)寺を建立し、修験道化したという。天文二〇年(一五五一)頃には浮嶽白山妙理大権現と称し一〇坊があったが、天正年間(一五七三―九二)に豊臣秀吉の軍勢によって兵火にかかり、一坊を残し全焼したという(糸島郡誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by