日本歴史地名大系 「吉井村」の解説
吉井村
よしいむら
北境を
寛永二年(一六二五)吉井・塩河村で三二三石余が長谷川久三郎に与えられた(記録御用所本古文書)。寛文郷帳では幕府領と前橋藩領の二給、田方一二三石余・畑方三六六石余。元禄郷帳では幕府領・旗本松平領・同川田領などの六給。その後吉井藩領。幕府領は慶安元年(一六四八)の検地帳(吉井町郷土資料館蔵)によると田二町五反九畝余・畑一〇町九反八畝余・屋敷五筆三反七畝余。文政年間(一八一八―三〇)の組合村々明細帳(群馬大学蔵)には下仁田道の両側に旅籠や茶屋・百姓家が記され、旅籠屋四・茶屋七があり、二・八の六斎市では近在二八村からの絹・太織物などが売買されていた。
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
- 徳島県:阿南市
- 吉井村
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
南は
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
吉井村
よしいむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報