すべて 

海保青陵宅跡(読み)かいほせいりようたくあと

日本歴史地名大系 「海保青陵宅跡」の解説

海保青陵宅跡
かいほせいりようたくあと

[現在地名]中京区橘町

経世家海保青陵が晩年に開いた塾の跡。押小路富小路西にあり、文化三年(一八〇六)から一四年に没するまで続けた(平安人物志)

青陵は宝暦五年(一七五五)丹後宮津みやづ藩青山氏の家老角田市左衛門の長子として江戸に生れ、明和八年(一七七一)一七歳の時、父とともに尾張藩に招かれたが、家督を弟に譲り、儒者として青山家に仕え、七年目に禄を辞し上洛

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 稽古談 巡歴
すべて 

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む