日本歴史地名大系 「海夫注文」の解説
海夫注文
かいふちゆうもん
解説 平安末期以来、下総国の一宮香取神宮(現千葉県佐原市)には、霞ヶ浦・北浦・利根川べりに居住して漁業にたずさわる集団が隷属していた。神宮の祭物奉献に関与したとみられるこの集団を海夫と称する。当初海夫は香取神宮の大禰宜に支配されていたが、南北朝期頃から在地の武士の支配下に入り、大禰宜の支配から離れていく。この間の情勢を物語る史料が、旧大禰宜家文書に収められた応安七年六月から一一月にかけて発せられた鎌倉府の執事奉書、山名智兼・安富道轍の奉書等と同時期と推定される八通の海夫注文である。同注文には下総・常陸の霞ヶ浦・利根川周辺の津が列挙され、また津の知行主(地頭)の名を記すものもある。これらは中世のこの地方の在地の動向を明らかにする豊富な内容を有しているが、とりわけ当時の水上交通の実態と津(湊)の所在、その地の支配の様相を具体的に探索する有力な素材である。
活字本 「千葉県史料」中世篇香取文書
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報