淀江台場跡(読み)よどえだいばあと

日本歴史地名大系 「淀江台場跡」の解説

淀江台場跡
よどえだいばあと

[現在地名]淀江町今津

美保みほ湾に臨む浜田はまだに位置。鳥取藩が海岸防備のため築造した砲台場の一つ。国指定史跡。文久三年(一八六三)五月郷士松波(松南)徹翁が海岸地区に所持する田畑二反余、淀江宿の谷尾甚三が一反余をそれぞれ無償提供し、土塁を築いて台場とした。砲台の築造は肥前長崎で蘭学や築城法を学んだ松波伝之丞(徹翁の長男宏元)が担当し(「藩士列伝」県立博物館蔵)、同年一〇月には一八斤および六斤の台場砲各一門、五寸径の台場砲一門が土塁上に据えつけられた(控帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「淀江台場跡」の解説

よどえだいばあと【淀江台場跡】


鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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