朝日日本歴史人物事典 「淡海槐堂」の解説
淡海槐堂
生年:文政5.12.1(1823.1.12)
幕末の尊攘派志士。儒者下坂篁斎の子に生まれる。京に出て薬業を営むかたわら,安政3(1856)年公家醍醐家に仕え板倉の姓を与えられる。文久2(1862)年洛東日吉山に文武館を設け尊王攘夷運動を支援。翌年8月18日の政変ののち,三条実美に糧食,金品を送り,天誅組に兵器を補給した。長州藩急進派による禁門の変後の元治1(1864)年8月,六角の獄につながれ,33カ月の在獄ののち慶応3(1867)年4月出獄。討幕運動を支援し中岡慎太郎に資金を送る。翌明治1(1868)年4月醍醐家を去り,姓を淡海とした。大津裁判所参謀,宮内中録などを歴任し明治5年辞官,詩画に親しみ57歳で没。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報