ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミツケーウィチ」の意味・わかりやすい解説
ミツケーウィチ
Mickiewicz, Adam Bernard
[没]1855.11.26. イスタンブール
ポーランドの詩人。ロシアのプーシキンと並び称されるスラブ最大のロマン派詩人で,祖国独立のための愛国的,情熱的行動で深く敬愛されている。貧乏貴族の弁護士を父とし,ウィルノ大学在学中から愛国的革命運動に参加,卒業後はコブノで教鞭をとりながら詩作に入った。1823年ロシア官憲の弾圧を受けてペテルブルグへ追放され,その後オデッサ,モスクワを経てローマに行き,1830年のワルシャワ蜂起の失敗を知って 1832年パリに亡命。1841~44年にはパリのコレージュ・ド・フランスでスラブ文学を講義した。1848年イタリア独立運動を助けるためローマで「ポーランド軍団」を組織,クリミア戦争(1855)に際してはイスタンブールへ行き,ポーランド義勇軍を結成しようとしたが,病に倒れた。代表作の長編叙事詩『パン・タデウシュ』のほか,『青春への頌詩』Oda do młodósci(1820),『バラッドとロマンス』Ballady i romanse(1822),『グラジーナ』Grażyna(1823),『父祖の祭り』Dziady(第2部,第4部 1823,第3部 1833),『クリミアのソネット』Sonety krymskie(1826)。
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