淡路小路(読み)あわじこうじ

日本歴史地名大系 「淡路小路」の解説

淡路小路
あわじこうじ

[現在地名]酒田市上本町かみほんちよう

かた町とうち町を東西につなぐ小路で内町組に属する。小路名は西側の内町角にある内町組頭役斎藤淡路宅の脇小路であったことに由来する。当小路には新井田にいだ川の川船業者や丁持が多く居住した。明暦二年(一六五六)の酒田町絵図(大泉叢誌)に「あわつ小路」とみえ、屋敷九軒とある。天和三年(一六八三)の酒田町割家数人数書上(鶏肋編)によると町域は一町、家数一八・人数五九。元禄一〇年(一六九七)亀ヶ崎城下大絵図では長さ九間二尺・幅三間、家数一五。享保一六年(一七三一)の御役五歩一厘、名請人は二四人(「水帳」伊東文書)。享保年間以後度々火災にあったため、淡の字が火の重なることによるとして町内で私的に「青波小路」と称したが(「酒田町割由来記」同文書)、火災は減らず天明六年(一七八六)には当小路より出火して小路の全戸焼失、弘化二年(一八四五)にも当小路魚屋彦治郎宅から出火し、片町・上内町・ほん町・河岸かし通・船場ふなば町までの家九二四・土蔵一九一・米二万五千俵余を焼失、アマ鯛火事と称された(「御用留帳」野附文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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