亀ヶ崎城下(読み)かめがさきじようか

日本歴史地名大系 「亀ヶ崎城下」の解説

亀ヶ崎城下
かめがさきじようか

[現在地名]酒田市上本町かみほんちよう本町ほんちよう一丁目・一番町いちばんちよう二番町にばんちよう新井田町にいだちよう相生町あいおいちよう一―二丁目・浜田はまだ一丁目・幸町さいわいちよう一丁目・亀ヶ崎一―五丁目など

最上川とその支流新井田川の下流右岸から合流点付近を占める中世―近世城下町酒田町組とともに酒田町・亀ヶ崎町とよばれることもあった。新井田川左岸の亀ヶ崎城は慶長八年(一六〇三)以前は東禅寺とうぜんじ城と称した(「菅原正次書留」旧山形県史所収文書)。文明一〇年(一四七八)大宝寺だいほうじ(現鶴岡市)を拠点とした武藤氏が支族の砂越氏の台頭に備えて築いたもので、位置は現在より東寄りの大町おおまち付近にあたり、同地には城下があったともいわれる。新井田川右岸の米蔵は武藤氏の時代に租米を入れる目的で造られ、右岸一帯に川船問屋や荷役労務者の丁持などが住み、町を形成した。

本格的な城下町は、庄内を支配下に収めた上杉景勝が、慶長三年城将志駄修理に命じて城郭を拡大させたときに形成された。志駄は川村兵蔵と協力し、土塁や堀を築いて新井田川以西の地を郭内に入れた。その結果、山王堂さんのうどう町・本米屋もとこめや町・うち町・さかな町および新井田川右岸沿いの米蔵を含む地域が三の丸に入った。新井田川は天然の要害でありかつ舟運の大動脈であったため、川に沿った南北三本の道路を軸にして町割がなされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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