日本歴史地名大系 「深野北新田」の解説 深野北新田ふこのきたしんでん 大阪府:大東市深野北新田[現在地名]大東市深野北一―五丁目・西楠の里(にしくすのさと)町・津の辺(つのべ)町・三箇(さんが)一丁目・同五―六丁目北条(ほうじよう)村の西にあり、深野池床のうち東本願寺直営開墾分の北部を占める。讃良(さらら)郡に属し、北は河内屋北(かわちやきた)新田(現寝屋川市)、東は北条村、南は深野新田・三箇村。宝永二年(一七〇五)より開墾に着手し、同五年検地を受ける。宝永二年より幕府領であったが、寛政六年(一七九四)高槻藩預地となる(「高槻永井氏預り所村々高付帳」中村家文書)。慶応元年(一八六五)京都守護職領(役知)となり幕末に至る。反別五七町余、村高は初め二八五石余、享保五年(一七二〇)の訴人検地により六五三石余となる(「深野新田由緒書」宮崎家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報