日本歴史地名大系 「北条村」の解説
北条村
ほうじようむら
- 千葉県:館山市
- 北条村
「正木家譜」時綱項の注記によると、里見義豊が房州を治めていた時、謀反を企てた安西氏を誅伐した正木時綱は「北条城及山下郡」を与えられたと伝える。天正一八年(一五九〇)九月一三日里見義康は
北条村
きたじようむら
- 新潟県:柏崎市
- 北条村
北条村
ほうじようむら
とみえ、天正一二年(一五八四)の同家文書にも
とあり、真壁氏配下の深谷氏の活躍がみられた。
北条村
ほうじようむら
- 大阪府:大東市
- 北条村
現市域の最北部に位置し、北から東は
北条村
きたじようむら
- 長野県:飯山市
- 北条村
建武二年(一三三五)の市河助房等着到状(市河文書)に信濃守護小笠原貞宗の催促により朝敵北条残党退治のため馳せ参じた市河助房ら一族が同年三月八日「於常岩北条致軍忠、令破却城畢」とあるのが初見。
北条村
きたじようむら
- 愛知県:常滑市
- 北条村
南北に走る
北条村
ほうじようむら
- 愛媛県:北条市
- 北条村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
「北条」の地名は条里制に由来するとも、また「予章記」にみえる「親孝北条大夫」の居館があったからとの説もある。中世初頭は河野氏の支配下であったが、承久の乱以後の様子は不明。
北条村
ほうじようむら
北条村
きたじようむら
- 新潟県:新井市
- 北条村
北条村
きたじようむら
北条村
きたじようむら
北条村
きたじようむら
北条村
ほうじようむら
- 愛媛県:東予市
- 北条村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報