淵崎村(読み)ふちざきむら

日本歴史地名大系 「淵崎村」の解説

淵崎村
ふちざきむら

[現在地名]土庄町渕崎ふちざき

皇踏おうと山南麓にあり、近世淵崎郷本村(親村)で、庄屋笠井氏が在住した。南は狭い海溝によって土庄村に対し、海溝上には天和元年(一六八一)永代えいたい橋が架けられた。双子ふたご浦に面したとみ丘の山腹に富丘古墳群があり、山頂に肥土ひと庄鎮守富丘とみおか八幡神社が鎮座する。宝暦明細帳によると高三四一石余・反別四三町五反余(田一五町七反余・畑二七町七反余)、船数五〇〇石積一艘・一三〇―二〇石積一六艘・一五―五石積六艘、家数一九八・人数一千五二、牛七九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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