混沌軒国丸 (こんとんけんくにまる)
生没年:1734-90(享保19-寛政2)
江戸中期の狂歌師。本名は雄崎弥兵衛,別号は玉雲斎貞右。大坂の商人。広島の桃縁斎芥川貞佐の門人。いわゆる丸派(がんぱ)の祖で,天明年中(1781-89)には門人1500人を擁し,永田貞柳没後の大坂狂歌界を栗柯亭木端(りつかていぼくたん)の栗派と二分した。編著は《狂歌玉雲集》《狂歌泰平楽》《狂歌撰集楽》《狂歌三部集》等。〈見苦しき形に恥じて松茸の木の葉を覆ふ松の下帯〉(《狂歌撰集楽》)。
執筆者:森川 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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混沌軒国丸 こんとんけん-くにまる
1734-1790 江戸時代中期の狂歌師。
享保(きょうほう)19年8月15日生まれ。大坂の商人。芥河貞佐(あくたがわ-ていさ)にまなぶ。大坂丸派(がんぱ)の祖として門人1300名をかぞえた。寛政2年2月24日死去。57歳。姓は雄崎。名は勝房。通称は尼屋弥兵衛。別号に玉雲斎貞右(ていゆう)。狂歌集に「夷曲左右合(いきょくさゆうあわせ)」,編著に「狂歌寝さめの花」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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混沌軒国丸 (こんとんけんくにまる)
生年月日:1734年8月15日
江戸時代中期の狂歌師
1790年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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