清尾村(読み)せいのおむら

日本歴史地名大系 「清尾村」の解説

清尾村
せいのおむら

[現在地名]熊毛町大字清尾

小松原こまつばら村の北西、城山じようやまの西側に位置する山間の小村。熊毛宰判に属した。

中世には延暦寺実相じつそう院領高水たかみず庄に含まれる地であった。

「地下上申」では北に接する樋口ひぐち村の小名として記される。「注進案」によれば寛永二年(一六二五)より宍戸出雲守の領地となっており、宝暦年中(一七五一―六四)に樋口村より分離し、清尾村となった。

「注進案」によれば総田畠数五六町四反余、総石高九五八石六斗余。総戸数六六、うち本百姓は四九、総人口二四九人。農事の手すきには紙・木綿を産出し、皿山で土焼茶碗・摺鉢・片口・土瓶・土鍋・徳利類をつくった。村内には上清尾・中清尾・下清尾の小名があり、庄屋一名、畔頭二名がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む