渋の湯(読み)しぶのゆ

日本歴史地名大系 「渋の湯」の解説

渋の湯
しぶのゆ

[現在地名]茅野市北山 奥蓼科

せりさわ村より東へ約一八キロ、渋川上流で標高一九〇〇メートルの谷あいにある。渋の湯は既に天文年間(一五三二―五五)から知られており、天文五年の古文書写(「諏訪史蹟要項」北山村篇)には「此度海野口城攻之帰館軍営為保養令渋湯其霊有昂証案内之所忠意神妙之至不少依之渋湯壺番屋敷壱貫文領永被仰候也 天文五年十二月(竜丸の印) 穴山小左エ門奉之」とある。神使御頭之日記(守矢文書)の同九年八月の条に「総十一日酉ノ頭ニシブノ湯山ニアタリヲヒタヽシクナリサテ酉刻ノヲハリニ風吹出候大水ハ五十年以前ニ只今ノ水ニモマシ候テ出候由申伝候風ハ五百年以前ノシハマクリ風モコレホドハアルマシキカト風聞候」とあり、災害に遭いやすい場所であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む