デジタル大辞泉
「茅野市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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茅野市
ちのし
面積:二六五・八八平方キロ
諏訪盆地の東南部にあり、八ヶ岳・蓼科火山列から南西へ緩やかに広がる扇状の丘陵台地から沖積平坦地帯を経て、西は守屋山・入笠山に至る地域を占める。この間を上川・宮川が支流を合わせつつ貫流し、農耕地帯と、西部に市街地を形成し、諏訪湖へ入っている。
〔原始〕
八ヶ岳山麓丘陵地帯には縄文時代の遺跡が多く残っていることで知られており、市の北西部には古代に牧があった。その南部の塚原扇状地とこれに続く沖積平坦地域には末期の古墳群が分布している。また、東北部丘陵台地一円に近世以降の新田村・汐(用水路)の多いのを特徴とする。
先土器時代の遺跡は蓼科山西麓の白樺湖畔と八ヶ岳西麓の奥蓼科渋川に点在し、縄文時代の遺跡は八ヶ岳西麓の広大な台地から上川流域を経て霧ヶ峰西麓に及んでおり、尖石・与助尾根・上ノ段・下の原・駒形遺跡などがある。また、小泉山西麓台地の和田、更にその西方永明寺山の南台地の一本椹遺跡は、縄文から弥生時代に及ぶ遺跡である。古墳は永明寺山南側(矢穴・釜石古墳など)・塚原扇状地(王経塚・大塚・姥塚古墳など)・上川・宮川流域(四ッ塚・樋沢塚古墳など)に分布している。これらはいずれも後・末期のもので、馬具の副葬が顕著である。
〔古代〕
初期の東山道が伊那から杖突峠を越えて諏訪盆地へ入り、上川に沿って北上し、芹ヶ沢から池の平(白樺湖)を経て雨境峠を越え佐久へ通ずる。「叡山大師伝」の弘仁六年(八一五)八月条にみえる「信濃国大山寺」は大泊(芹ヶ沢)にあったと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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茅野〔市〕
ちの
長野県中部,諏訪盆地南東部と八ヶ岳,蓼科山の西斜面を占める市。1958年市制。中心市街地の「ちの」は中世からの市場町で,甲州街道と杖突街道の分岐点に立地。伝統産業である寒天製造が行なわれるほか,電機,精密機械などの工場が進出している。八ヶ岳山麓の広大な斜面を占める農村部は,山浦地方と呼ばれ,米作と養蚕を主としていたが,1960年代半ばから観光開発が進んだ。特に蓼科高原には蓼科温泉郷,奥蓼科温泉郷があり,白樺湖,蓼科湖など風光にも優れ,長野県下の代表的な高原観光地となっている。国指定特別史跡の尖石遺跡,国指定史跡の上之段石器時代遺跡,駒形遺跡などがあり,茅野市尖石縄文考古館は国宝の土偶を所蔵。八ヶ岳中信高原国定公園に属する。JR中央本線,国道20号線,152号線,299号線が通り,市街地西方に中央自動車道の諏訪インターチェンジがある。面積 266.59km2(境界未定)。人口 5万6400(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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