朝日日本歴史人物事典 「渡辺幸庵」の解説
渡辺幸庵
江戸時代初期の武功者。一説に天正10(1582)年生まれ,正徳1(1711)年に130歳で死没したとする。謎の多い人物であるが,もと幕臣ということからして,渡辺茂の子の忠がそれに比定しうるであろう。徳川家康・秀忠に仕えて上野国で知行300石を賜り,関ケ原の戦,大坂の陣には父と共に参加して軍功をあげ,逐次加増を受けたのち,寛永2(1625)年に徳川忠長に付属せられ大番頭となり5000石を知行した。忠長が改易ののちは浪人となり,その後の経歴は不明であるが,彼の後年の回想記である『渡辺幸庵対話』によれば,島原の乱のときには細川忠利の部隊に陣借りして働き,その後は中国大陸に長年滞在して再び日本に戻ったという。老年には武蔵国大塚に住んだが,加賀藩主前田綱紀は宝永6(1709)年に家臣杉木義隣を遣わして幸庵の昔話を筆記させ,同8年に上記の回想記がまとめられた。<参考文献>「渡辺幸庵対話」(『改定史籍集覧』16巻)
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報