20世紀日本人名事典 「渡部寛一郎」の解説
渡部 寛一郎
ワタナベ カンイチロウ
明治〜昭和期の教育者 松江市教育会長。
- 生年
- 嘉永6年12月26日(1854年)
- 没年
- 昭和13(1938)年3月10日
- 出生地
- 出雲国意宇郡雑賀村(島根県松江市)
- 学歴〔年〕
- 広島師範学校卒
- 経歴
- はじめ松江藩校修道館に学び、次第に頭角を現して皇漢学寮長心得に任ぜられた。維新後の学制公布によって小学校教員となり、明治7年大原郡木次小学校の初代校長に就任。次いで広島師範学校に進み、卒業ののち島根師範学校や松江中学校・東京師範学校で教鞭を執った。21年島根県に進取学館を創立し、私立では県下初となる女子科を設置。さらに23年には同校を松江義塾と合併して私立尋常中学修道館に改組した。しかし同館は40年に県立工業学校の設立のために校舎を譲渡し、廃校。同年、浜田高等女学校に校長として迎えられ、大正5年まで在任した。その後は松江市教育会長や島根県会議員などを歴任。また、郷土出身の政治家若槻礼次郎の後援会である克堂会を組織した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報