港崎町(読み)みよざきちよう

日本歴史地名大系 「港崎町」の解説

港崎町
みよざきちよう

[現在地名]中区横浜公園

太田屋おおたや新田の南中央の泥地に造成された遊郭地。安政六年(一八五九)の横浜開港の町地造成の際に開港場を横浜村にすることに反対する外国人を引付けて繁栄を計るため、開港場に遊女町の建設が計画された(幕末外国関係文書)。かねて出願していた品川しながわ宿(現東京都品川区)の旅籠屋佐吉および神奈川宿(現神奈川区)旅籠屋善二郎ら五人に太田屋新田地内の一万五千坪を貸渡し、江戸新吉原しんよしわら(現東京都台東区)を基準にして建設を認可した(「岩亀楼記録」横浜開港資料館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む